次男が中学生の時、上級生を殴って担任の先生から注意をうけ、「親も、相手のお子さんの家まで謝りに行って欲しい」との電話をもらったことがある。 本人に事情を聞いたところ、我が家の誇りをひどく傷つける言葉を言われて思わず殴ってしまったという。

私はそれが事実か確かめたうえで、担任の先生に「殴ることは悪い。 しかし、状況をみると怒って当然。
私でも殴る。 謝るのは相手でしょう」と、謝りに行ってという先生の言葉を突っぱねたことがある。
言葉の暴力、態度の暴力の方が、よりひどいこともあるのだ。 言葉の暴力であるハルノートを突きつけられて戦いに入ってしまったことは、もちろん残念自分がいることに気づいた。
海面の油は、今でも軍艦から時折もれてくるせいだという。 真珠湾を奇襲攻撃という人も多い。
しかし、最近は事実を客観的に検証する人も出てきており、機密の情報も公開されつつある中で、あの戦争は避けて通ることの出来ない運命的な戦争であったという人も多い。 理不尽なハルノートを突きつけられて、これを呑むことは国家としては死ぬほどの屈辱であった。
黙ってその屈辱に耐えるか、もしくは戦うかの、どちらかを選ばざるを得なかった状況であったという。 日本本州の南端、鹿児島の開聞岳のすぐふもとの海の見える高台に望比公園がある。
その公園には、海のかなたを見つめる母と幼い子の銅像がある。 母子は海のかなたのフィリピンを想い、いつまでもいつまでも座り続けていたに違いない。
複雑な思いで海を見つめていた私に「Mさんでしたら、送る母として、何と声をかけますか」当時の新聞には、H長官言明と書かれてある。 「言明」とは、なにやら最近聞いたセリフのようでもあるが…。
上野村のK村長をはじめ当時戦った方々の貴重な証言集は、M監督の力で「特攻国破れても国は滅びず」としてFテレビで放映されることとなった。 私も、この証言集の撮影のために、セブ島、マパラカット、クラーク、そして九州の元基地と、同行させていただいたが、セスナから見るレイテ湾は静かで美しい。
ここで壮絶な戦いがあったことが、信じられないほどだ。 複雑で不思議な気持ちであった。

しかし、彼らが大切な一つしかない命をかけて散って逝ったのはまぎれもない事実なのである。 海底には今も、かつての若者達が眠っているのであろうか。
海底に眠る若者に「ありがとう」と感謝せずにはおれなかった。 彼らは、富士山に似た開聞岳を何度も振り返り、日本に故郷に、そして両親に別れを告げた。
そして、翼を振って帰らぬ人となった。 「後をたのむ」と言い残して…。
彼らの死を無にしないためにも、私達は人生を大切に生きねば申し訳ない。 戦争は嫌だと思っていても世界のどこかで戦争が起こっている現在の現状では、真の平和はいつ来るのだろうか。
平和であって欲しい。 いつまでも平和であれ…。

と聞かれたが、言葉などあろうはずがない。 一言でも言葉を発したら、心が崩れてしまう。
母であるからこそ、母の気持ちが痛いほどわかる。 母を思う息子の気持ちも、痛いほどわかるのである。


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